大正12年~創業時代
金光組の始まりは初代・金光松太郎が、当時糸崎町にあった田中組の仕事の現場監督として従事していたことに遡ります。
大正12年、田中組の社長の逝去により会社が解散し、それをきっかけに本格的に仕事を請け負うようになったのが金光組の始まりです。
当時は、警察署長から「請負士を命ずる」といった許可証を受け取り、業務を行っていました。
昭和初期には村会議員を務めていた関係で、地域からの頼まれごとが増えました。石垣を積んでほしいといった地元の要望に応える中で、行政との調整や自らの手で作業を行い、個人事業主数人とともに建設業を共同経営するようになりました。(数年後、金光組・三原建設・播磨組の三社に分かれて独立)
当時手がけた仕事には、県の護岸工事、沼田大橋、尾道駅の現地下道、呉線などがありました。これらは、現在の三原市内外の骨格を形づくる土木工事に携わっていたことは私たちにとっても誇り深い歴史です。